八・五反戦反核集会ヒロシマからの提起

核文明に対抗する人間宣言に向けて

                                          労働運動研究掲載

一、チェルノブイリとヒロシマ

チェルノブイリの事故は広島に新しい衝撃を与えた。それは、髪の毛が完全に抜け落ちたチェルノブイリの被爆者をテレビで見た瞬間、「いままたヒロシマが!」と、背すじを走った戦傑であり、幾千キロもの距離をいっきょに越えて結び合った共通の感情でもあった。

それが原爆投下直後の熱線による巨大な破壊−業火とは違って音もなく静かに地を這う放射能の流れであるだけに、ヒロシマ以上の影響があると聞かされても容易には信じ難いほどであった。

もしチェルノブイリが遠い世界のことのようにしか思えなかったとすれば、それはチェルノブイリが遠いからではなく、四〇年来のヒロシマの苦しみが広島の私たちからも遠くなっていたからではないか。「まどえ、かえせ」という被害者のふかいためいきのような声を私たちの耳がきき分けることができなかったのだ。

二、現代の核危機はいま

この事故のもつ音心味は、原爆と原発がけっして別のものではないことを知らせてくれただけではなかった。

「チェルノブイリ」は私たちに教えている。現代の核危機はヒロシマのように、何時かある時ある所での爆発的な破局としてだけでなく、昨日と同じ今日、明日の生活の日常のなかに、徐々に、ゆっくりと、その破局が準備されていることを。そうしてまた、放射能に国境がな

いことも。

いまレーガンの核戦略に日本をしばりつける中曽根政府のもとで、横須賀、佐世保には一年に二百数十回も核疑惑の米艦船が寄港し、上瀬谷、依佐美などの通信・情報基地からはペンタゴンの指令が日々近海深く潜行する原潜に送られ、沖縄、岩国などの基地からは核装備のととのった爆撃機が飛びたつ準備が行われている。

そのうえ、陸海空自衛隊をそのまま米軍に統合した日米核安保はいま韓国の全斗燥とむすび、極東における日・米・韓の軍事一体化は急速にすすんでいる。北の海と朝鮮半島にいつ危機が爆発しても不思議でない緊張が目にみえない所で毎日毎日つづいている。

私たちは改めて、あたりまえのようにすごしている日常を見つめ直し、とらえ返し、一つ一つの核と闘わなくてはならない。

三、タテの運動とヨコの運動を

非核自治体宣言の運動は、反核・非核運動の新しい領域を獲得した。それは住民が誰でも参加できる非核運動の第一歩である。しかし、すでに全国で九五〇をこえた非核自治体のほとんどは、宣言を出させるまでの広い帯のような住民の運動が解かれ、安堵感とともに運動の空白が生まれていないだろうか。

私たちは非核宣言の内実を点検し、空と港、工場と学園から一切の核を追及追放しなければならぬ。そうして日本の全土を一区画ずつ再点検、再調査し、核とのどんな小さな関わりも許さぬ非核の網でおおいつくさなくてはならぬ。

こうしたヨコの運動とタテの運動――反トマ、反基地、反原発の運動がかたく組み合わされるとき、諸運動はその独自の性格をいっそう強めつつその同質の根拠を共有することができるだろう。なにより重要なことは、核まみれの日本のなかに非核の陣地を作るための反核運動の共同戦線をタテとヨコの両面から追求することである。

四、非核の思想と反核の闘い

そのためにも必要なのは、巨大な科学技術の体系の上に居座って人間を見下し、目にみえぬ管理と支配を通じて浸透する「核」の思想と正面から対抗する、非核の思想である。それは「核」と人聞が共存でぎないことを改めて確認しつつ、核廃絶のもとでのみ実現できる平和で人間的な共同社会をめざす思想である。

かつて広島の栗原貞子は、原爆で傷ついた人間の呻きに満ちた地獄の地下室で、死んでいく人々の協力によって産み落された新しい生を「生ましめんかな」とうたい、峠三吉は原爆で引き裂かれた痛みに喘ぎながら「私につながる人間を返せ」とうたい込んだ。これこそは非核の思想の原点ではなかったか。その意味で、非核の思想とは現代の核文明に対抗する人間の思想である。それは四十一年前ヒロシマの地獄から生まれたが、いまでは核時代に生きる人間の思想として多くの人々をとらえ℃いる。いまは少数でも近い将来にはきっと多数の、そうして人間らしく生きようとするすべての人々の思想となるだろう。それは反核の闘いを導き、反核の闘いは非核の思想をますます拡げるであろう。

五、非核国際連帯の発展のために

反核の闘いは一国だけでは成就できない。現代の戦争は前線と銃後、戦闘員と非戦闘員を区別しないだけでなく、戦時と平時の区別をなくさせ、一切の国境を否定する。核兵器はその所有者と意図の相違を趣えて人類絶滅の兇器となり、攻撃と防御を憎悪と報復に変える。

反核の闘いも非核の陣地も、国境を越えた統一行動と国際連帯によってこそ実現される。いまこそすべての核を包囲するため「人間の鎖」を大洋から大陸まではりめぐらさなくてはならない。そのとき私たちにとってアジア・太平洋の民衆と連帯することは非核国際連帯の最も身近な第一歩である。

しかしそこはすでに早くから米日極東核戦略の基地とされ、核の実験と廃棄の墓場にされていた。ここでは反核の闘いは民族自決の闘いと固く結び合わされている。何故ならば核の支配は民族の自由を奪い取るからである。

かってこれらの地を奪い、いままたアメリヵ帝国主義のパートナーとして極東、核基地を共有している日本の私たちにとっての非核国際連帯とは、闘うアジア・太平洋の民衆と連帯しつつ日本政府とのきびしい闘いを自らに課することでなくてはならない。

六、今後の運動の展望のもとに

いまきびしい情勢のもとで日本の反核運動は新しい画期を迎えている。歴史的な原水禁運動を長期にわたってになってきた巳本原水協と原水禁国民会議は、とりわけ日本共産党の独善的な本流意識とセクト主義によってその提携を断った。

他方では核兵器廃絶運動連帯、反核千人委員会などの新たな全国運動も生まれ、全国各地で運動を続けている自立的で多様な草の根運動と合わせて、いま日本の反核運動は新たな運動の創造と統一をめざして転換期にある。

この背景にはすでに早くからすすめられていた労働戦線の再編成問題がある。近く予定されている全民労協の労連(ナショナル・センター)への移行にともない、とくに終始総評が重要な支柱となってきた原水禁運動なかでも原水禁.国民会議は、新たな選択を迫られるだろう。いま始まっている模索もこうした情勢を見すえながら動いている。

しかしこの運動には主流も支流もない。必要なことは、それぞれの多様な運動がいっそう独自な追求をつづけながら共通の課題のもとでともに闘う行動の統一であり、自立を前提とした広く深い連帯である。私たちはこの転換期にあって新しい情勢と動向を見定めつつ、きびしい核状況と対峙して闘う全国各地の諸運動、また各分野の諸運動と連帯して下からの統一運動の強力なバネとならなければならぬ。

そのためにも重要なことはいっそう多くの労働者、労働組合に呼びかけ、市民運動と労働運動の結び合いによる新しい型の反核運動を追求するなど、運動の新たな展望をきりひらくことである。

七、新ヒロシマ宣言をめざして

いまから三十六年前の今日――八月五日、私たちは朝鮮戦争下最初の八・六闘争を、二重権力の弾圧と数千名の機動隊による厳戒のなかで貼準備していた。この闘いをになったのは広島を中心とした日本人青年労働者達と中国地現から結集した朝鮮人活動家達であった。

それから五年目の今日――八月五日、私たちは明日に迫る初めての原水爆禁止世界大会の準備に忙殺されていた。「ビキニ」以来の爆発的な反原爆国民運動は世界と全国から集まった数千名の代表者達に新しい運動の針路を託し、被爆者ははじめて「生きていてよかった」と訴えた。しかしこの大会では朝鮮人被爆者のことは一言も語られなかった。

私たちは、かつてヒロシマが世界最初の核の被害者だと思いこんでいた。しかしいま私たちは知っている。アメリカやオーストラリアの先住者達がウラン採鉱の最初の被害者であったことを。そうして日本の原水禁運動が始まる端緒であったビキニ実験ではその直下に人々が住んでいたことを。そうしてまたアメリカをはじめとした各国の工場と実験場で多くの人々が傷ついていることを。さらにまたスリーマイルとチェルノブイリの今後の核の被害者のことを。

いま広島はヒロシマであってヒロシマではない。ヒロシマはいまなお、ここ広島で、南太平洋で、チェルノブイリでつづいている。私たちは地球からヒロシマを終わらせるために闘いつづけている。そのために、四十一年前のヒロシマではなく、反核を闘いつづけ非核をかちとるための、いまのヒロシマの宣言として旨本と世界の人々に呼びかけることを提起する。

明年のこの集会を期して、ここに集ったすべての人々とすべての運動の展望と針路を「新ヒロシマ宣言」に結実させよう。それは核時代における最初の人間宣言となるだろう。

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